先日、元夫とまた食事しました。
以前は月2ぐらいのペースだったのが、最近月1になっています。
そして、明らかに距離が広がりつつあります。
その日、元夫は定年後の夢を熱く語っていました。
定年したら、移住し、そこで新しい人間関係を築き、新しい仕事を始めたい、ということでした。
片や、私は専ら仕事や趣味のことなど、今の生活について話しました。
明らかに見ているものが違います。
もちろん、年齢差がありますので、以前からそういう差はありました。
でも以前は元夫の夢を私も共有していましたので、二人でああしよう、こうしようと盛り上がることができました。
前回の記事でも書いたように、私は今「回復のプロセス」の入り口にあるということを再認識しました。
長い年月をかけて元夫と共に育ててきた夢は、元夫のミッドライフクライシスと離婚で消え去り、それに代わる「私の」ビジョンは今、全くの白紙です。
今、私には語るべき「夢や将来像」がないのです。
楽しそうに夢を語る元夫に「夢があっていいね。私は今から作らないといけない」と淡々と語りました。
心中、元夫へのいら立ちはありましたが、冷静に対応できたと思っています。
言いたいことは感情的にならずに主張しようと心がけており、全てをニコニコ笑って受け入れる必要はないと思っています。
結婚生活を振り返って、気付いたことがありました。
元夫はもともと、「今を生きる」のではなく、「未来を生きる、理想を生きる、夢に生きる」人だったのではないかということです。
元夫はミッドライフクライシス直後に筋トレを始め、それは今でも続いています。
ただ、他のこと(料理、女性関係、勉強等)は全てやめてしまったようです。理想の結果を得られないのであきらめてしまったように思います。
唯一続いている筋トレも、楽しんでやっているのではなく、(YouTubeで見た)理想の体型があり、近い将来に理想の体型にならなければやめてしまう、あるいはトレーニングを減らしてしまう、と話していました。トレーニング自体は楽しくはなく、苦しいそうです。
さらに「移住してもうまくいくとは限らない。もし理想がかなわなければ引きこもってしまうかもしれない。今は乗り越えるときだ」とも言っていました。
何らかの理想があって、理想をかなえるためにいろいろな困難を乗り越えなくてはならないのでしょう。
そしてその理想をかなえることができなければ、また全てを捨ててやり直すのかもしれません。あるいはもう全てをあきらめて引きこもるのかもしれません。
それがチャレンジ精神なのか、単にいまだに万能感、全能感を克服できていないだけなのか、私には分かりません。
そんな元夫の話を聞きながら考えました。私の理想って何だろう、と。
理想なんて考えたことがないような気がします。結婚していたときは十分に満足していましたし、今は今で(もちろんつらいときはありますが)それなりに楽しく過ごしています。
どちらかというと、私は理想ではなく、今好きなこと、今やりたいことを考え、行動に移すようです。
いや、考えるより前に行動してしまっている気がします。思考より行動が先行するタイプです。
実際、最近、仕事で新しいことを始めました。
たまたま、いろいろな偶然が重なり、思わず行動に出てしまっていました。
うまくいくかは分かりませんが、だめだったら、やめればいいだけだと思っています。
何事も先ずは一歩、小さく始めることをモットーとしています。
そして、続けられるなら続ける。続けられなかったら、合わなかったのだと思ってやめるだけです。
一貫して意識しているのは「自分のベストを尽くすことを念頭に置きつつ」、でも「普段は60点ぐらいの心持ちで続ける」ということです。
すごい人と比べてそれを理想に頑張っても続きませんし、意味があるとも思えません。
それに、理想って行動していく中で見えてくる。そして時間とともに変わっていく気もするのです。
元夫と私のそういう違いはきっとずっと以前からあったのだと思います。
でも、離婚して初めて、それを客観的に見ることができるようになりました。
元夫は「理想を決めて、その理想を追う」人。だから、理想と現実が食い違ってきたら現実を捨てる。(だから理想の女性ではない私と離婚したわけです。)
私は「現実から積み上げる」人。理想は積み上げていく過程で変わると思っています。
何かを始め、続けているうちに、だんだんと自分のやりたいことが見えてくる、変わってくる。
さらに続けると、またさらにどんどん変わっていく。
現実の中で試してこその理想だと思っています。
現実の世界でつぶれてしまう理想なら、作り変えたほうがいいと思うのです。
かなり、分析的になってしまいました。でも、理由があります。
先日、Something's Gotta Give(恋愛適齢期)という映画を観たのですが、その中で失恋した主人公(女性脚本家)が、その顛末を脚本の中に書いていたのです。
書いている様子がとっても面白いんです。ワーッと泣いて書く。笑う。そしてまたワーッと泣いて書く。
でも書くことで救われているように見えました。
自分の悲しさや辛さをも客観視し、突き放すことによって、救われているように思いました。
私は脚本家ではありませんが、こうやって離婚の顛末をできるだけ冷静に見つめることで随分救われている気がします。
「救われる」といえば、最近、雑巾がけをするようになりました。
部屋を雑巾ですみからすみまで拭き掃除すると、心もすっきりすることに気付きました。
いつまで続くかは分かりませんが、週1ペースで拭き掃除しています。
元夫は近い将来、遠い場所に移住するため、今のように月1で食事を共にすることはできなくなるでしょう。
それをきっかけに一切の関係が絶たれるかもしれません。今の私には、それがとてもつらいことのように感じられます。
ですから、私はもう一段階、成長を遂げなければなりません。
どのような成長を遂げるのか、何をどうしなければならないかは全く分かりません。
でも、だからこそ、このブログに自分の気持ちや思ったことを書き、拭き掃除をして、一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思っています。
上にも書いたように、私は現実から積み上げていくタイプなので、思いついたら行動に移し、続けられることは続け、続かなければやめるということを繰り返していくのだと思います。
そして、その結果、半年後、1年後、2年後の私は、今とは変わっているはずです。
実際、元夫のミッドライフクライシス勃発時、離婚時から、私は変わりました。
元夫とのことだけでなく、仕事やその他の問題を一つ一つ、粛々と片付けていく過程で、理想は知らず知らずのうちに実現され、進化していくものだと思っています。また、そう願っています。
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