夫がミッドライフクライシスになり、離婚しました。
今日は「ミッドライフクライシス(元)夫との対話が始まった」についてです。
先日、また、元夫と会いました。
いつもと同様、彼から連絡がありました。(私からは連絡を取らないようにしています。)
前回、元夫に「あなたはミッドライフクライシスだと思う」と言ったのですが、今回は、なぜそう思うかについて話すことができました。
先ず、ミッドライフクライシスの典型的な症状を伝えました。
ミッドライフクライシスの人は「若返りたいと思う」ということについても話しました。
すると、彼が話し始めました。
鏡の中の自分を見ると、なぜこんなに老いてしまったのか、いつこんなに老いてしまったのかと思い、そういう自分を受け入れられない。
顔のしわ、白髪も嫌だ。
老いていること、老いていくことをどうしても受け入れられない。
私が「最近明るくなったようなので、少しは楽になったのかと思っていた」と言うと、「自分は誰にも好かれていないので、人といるときは無理してでも明るくして(好かれるように)している」とも言っていました。
私が「じゃあ、自分のことを好きじゃないんだ」と聞くと、うなずきました。
私は「それはつらいね」とだけ言いました。
本当につらいだろうと思いました。
そして、そのつらさを(周囲に嫌われないようにするために)他人に見せないようにすることはもっとつらいことだろうと思いました。
「誰も僕のことを認めてくれていない、僕のことを好きではない」と言う彼を見て、彼の自尊心がここまで低かった(低くなってしまっていた)ことに初めて気付きました。
本当は「私は(そうやって悩み、戦っている)あなたのことを応援している」と言いたかったのですがやめました。
言葉が宙に浮くような気がしました。
自分で自分を好きになれない人(元夫)を私がいくら応援しても、本人(元夫)は嬉しくはないでしょう。
一つ救いだったのは「外に出ているうちはまだ大丈夫だと思う。引きこもってしまうようになったらもう終わりだと思う」と言っていたことです。
彼は今、外に出て人と会い、今の状況を変えるきっかけを探しているのだと思います。
離婚前は、離婚さえすれば、若さを取り戻せる、幸せになれると思っていたようです。
でも、離婚しても(少なくとも今は)幸せではない。
体はどんどん老いていく。
思った通りに事は運んでいません。
でも、そういう中でも、平日は働き、週末は友人に会い、夕方は散歩に出るようにして、引きこもらないようにしているようです。
私と定期的に会うのも、引きこもりにならないようにするための一つの手段だということも分かりました。
私は彼に言いました。
「もし(あなたが)本当にミッドライフクライシスなら、私には話を聞いてあげることしかできない。ミッドライフクライシスは本人が抜け出すしかない」と。
彼が「抜け出せるのかな?」と聞いてきたので「男性は3年から10年かかるみたいだよ」と言いました。
「10年経っても抜け出せないかもしれない」とのことでした。
今回いろいろ話し、当面、できるだけ、元夫の話を聞いていこうと思いました。
一方、私は私で毎日働いているのですが、先日、初めて、離婚したことを同僚に話しました。
話すつもりはなかったのですが、以前、夫婦(私と元夫)で定年後の引っ越し先を探していると話したことがあり、それについて聞かれたのです。
嘘をつくこともできましたが、ぽろっと「実は離婚したんです」と話してしまいました。
ミッドライフクライシスについても少し触れ、私自身とてもびっくりしていること、元夫と今でも時々会って食事していること、元夫は今人生に迷っていることなどについて話しました。
すると、その同僚が「旦那さんが『10年経っても(ミッドライフクライシスからは)抜け出せないかも』と言ったということは、自分を客観視できているのではないか。100の問題うち1ぐらいは整理できたのではないか」と言ってくれました。
ちなみにその同僚は男性です。
同僚と話したことで、元夫が連絡してきたときは、できるだけ彼の話に耳を傾けようという思いを強くしました。
「できるだけ」と書いたのは、振り回されないようにする(Set boundaries(境界線を引く))ことが、私の心身の健康上必要だからです。
私は、彼の元妻であり、カウンセラーではありません。
彼のミッドライフクライシス、それに続く離婚で私も大きく傷つきました。
(今回初めて、私が死のうと思ったことも話すことができました。)
彼のしたいようにすることが、必ずしも私の幸せにつながるとは限りません。
そういう意味で、難しい判断を迫られるようなこともあるかもしれません。
少し話は逸れますが、最近、大原扁理さんの「不安は9割捨てました」を読みました。
その中で印象に残った言葉(以下)があります。
「私は、目指すべきは『自分の好きなように生きる』であって、それは『自分の好きなことをして生きていく』とは、微妙に違うと思う」
同感です。
好きなことも仕事にすると嫌いになることがあります。
好きなように生きないと、好きなことが何か分からないとも思います。
距離感の問題なのかもしれません。
元夫との対話は、彼だけでなく、私にも必要なことだという気もしています。
私が人として成長する機会だとも思っています。(同僚には「今、修行中です」と言いました。)
20代のときクォーターライフクライシスになってカウンセリングを受けたとき、カウンセラーの先生に「大らかな性格」だと言われたことがありました。
当時はその大らかさが押しつぶされていたそうです。
今、そのとき以上に「大らかさ」が求められている気がします。
いろいろなことを、あるがままに受け止める(受け入れられるかは分かりませんが)広い心持ちでいることが必要な気がしています。
「自分を信じる力」にも通ずるのかもしれません。
そして、それは元夫も必要としている力かもしれません。
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