ミッドライフクライシス勃発から離婚までは、毎日がローラーコースターのようでした。
いろいろなこと(全て悪いこと)が起こり、感情がいっぱいいっぱいになり、心身ともに追い詰められました。
ただ、離婚して、引っ越しして、しばらくたった頃から、少しずつですが、様子が変わり始めました。
喪の作業を経るための曲を聞いているとき、かすかに、本当にかすかですが、解放感を覚えたんです。
解放してくれ、自由にしてくれと言ったのは元夫なのですが、私も解放されたような気がしてきたのです。
彼からの解放なのか。
結婚からの解放なのか。
それは分かりません。
両方かもしれません。
いずれにせよ、一人だ、そして自由だと思いました。
そして、今、仮に元夫に「復縁して一緒に暮らしてくれ」と言われても(99%ありえませんが)、「はい」と即答できない自分の心にも気付きました。
でも、どこかの時点で、会うことをやめた方がいいような気もしてきました。
数カ月前までは考えもしなかったことです。
人の気持ちってこんな風に変わっていくのかと、自分でも不思議です。
もちろん揺り戻しもあるでしょう。
でも、別の男性と付き合うとしても、家事を求められるのであれば結婚はもういいかな、とも思い始めています。
そもそも、誰かと付き合わなくちゃいけないのかな、ということすら考えるようになりました。
時々会って食事する友人はほしい。(男女問わず。)
コンサートや映画に一緒に行ける友人もいた方がいい。(こちらも男女問わず。)
でも、一緒に暮らす人がほしいかと聞かれると、どうでしょう。
同じマンションの隣の部屋ぐらいでもいいような気もしてきたのです。
もちろん、さみしいです。
(秋になるともっとそうなるでしょう。)
でも、だんだんと、さみしさをやり過ごせるようになっている。
代わりといっては何ですが、さみしさより、差別・偏見をいやだなと思うようになりました。
結婚してないと一人前じゃない。
離婚経験者は負け組だ。
というような価値観です。
(もしかしたら以前の私もそうやって無意識に差別していたかもしれませんが。)
そのせいか、最近、会う人、会いたい人が変わってきています。
例えば、今、少しずつ、両親との距離を置き始めています。
元々それほど仲良くはなかったのですが(人種や国籍、未婚、離婚で差別するので)、それでも、元夫がミッドライフクライシスになったときは本当によくしてくれました。
緊急駆け込み寺として、使わせてもらったと思っています。
感謝しています。
でも、緊急対応が終わり、これからの人生を自分(一人)で作っていかなければならなくなった今、彼らのような価値観を持っている(独身者、離婚経験者は失敗者と思っている)人といっしょにいることはマイナスです。
会うとネガティブな気持ちになるからです。
それと、ミッドライフクライシス本にもよく書かれているのですが、時間の経過に伴い、もう(ミッドライフクライシスや離婚の話は)卒業してくれ、という「圧」を感じるようになりました。
これは当然かもしれません。
会うたびにミッドライフクライシスの話を聞かされたら、たとえ親でもうんざりでしょう。
ですから、少し前までは定期的に実家に行き、無理して明るく振舞っていたのですが、先日、(おそらくストレスで)声が出にくくなり、それをきっかけに行くのをやめました。
さみしいです。
でも、自分を見つめる時間が増えています。
すると、やりたいこと、やりたくないことがぼんやりと見えてくるんです。
面白いですね。やりたいことって子供の頃から変わらない。
やりたくないこともそれほど変わらない。
でも、やりたくないことって、子供の頃は、親や先生に矯正されたり、隠したりしてましたが、今はそれを個性として考え、やりたくもないことを無理してやるのはやめようと思っています。
社会人としての良識は守りつつ、やりたいこと、好きな人・ものに囲まれた暮らしを構築していきたいと思っています。
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