夫がミッドライフクライシスになり、離婚しました。
今日は「喪の作業」についてです。
離婚しましたが、なぜか元夫と会ってます。
最初は用事があったから。(離婚に伴う事務手続きです。)
でもここ数回は用事がないのに会って食事やお茶をします。
もともと彼からは、できれば友人になりたいとは言われてました。
でも言われた時の私はそれどころではない。
「どの口が言ってんの!」という感じでした。
でもじゃあ、今は友達になるつもりで会ってるのかと聞かれればそうではありません。
何度か会ってるうちに、しかもそのうち1回は自分から誘って気付いたのですが、これ、喪の作業だと思います。
彼は自分から離婚を切り出したのだから、心の準備ができていたはずです。
でも私にとっては全く急でした。
切り出される数週間前には二人で一緒に引っ越し先を探していたほどです。
離婚を切り出され、彼の様子が急変し(叫んだり物を投げたり)、挙句に「(僕のことを)愛しているなら別れてくれ」と言われ、心がちぎれる思いで離婚に伴う一切の事務手続きを引き受け、今の家から出ていくために引っ越し先を探したりと、目まぐるしい日々を過ごしてきました。(私はフルタイムで働いています。)
最近やっと、周りが見えるようになってきました。
引っ越し先も決まり、今、準備を進めています。
一人になり、がらんとした(大分捨てました)家に一人でいると、じわじわと哀しさが染み出してきます。
ミッドライフクライシス勃発直後ももちろん泣きました。
ただその泣き方は嗚咽。叫ぶように泣きました。
その間、親兄弟に支えられ、何とかやってきました。
おかげで社会生活はぎりぎりこなし続けることができました。
職場の同僚やご近所さんとも普通に話してます。
離婚のことは言ってませんので、表面的にはこれまで通りです。
逆に仮面をつけたままでいいので楽です。
ただ最近、それ以外は一人でいるようにしています。
以前は親や友人のところに行ったりもしてましたが、回数を減らしてるんです。
一人でいても変なこと(死ぬこと)を考えないようになったからです。
人と一緒にいて下手にごまかすより、そろそろ自分としっかり向き合った方がいい、向き合えるのではないかと思い始めたからです。
一人でいると、心の深いところから悲しみがじわーっと染み出してきます。
もうわんわん泣くことはありません。
ただ涙がじわーっと出てきます。
彼との別れが悲しいから。それはもちろんです。
が、それよりも、彼と一緒に過ごした時間との別れ。
彼と一緒に過ごした自分との別れのほうがつらいかもしれません。
青春という年齢ではありませんが、私の人生のある段階(ステージ)が明らかに終わりました。
そういう昔の自分に、今ゆっくり、さよならしています。
偶然、ぴったりの曲も見つかりました。
70年代のモータウンの曲です。(モータウンだけどスローテンポです。)
毎日それを聞いてます。
昔を懐かしみながら。
元夫とは濃い夫婦生活を送ったと思います。
大好きでした。
元夫も(少なくとも一時期は)同じように思ってくれていたと思います
そして、それはそれとして取っておきたいと思います。
思い出を汚す必要はありません。
離婚についてはほとんど揉めませんでした。
最初、少しだけ渋りましたが、途中であきらめたんです。
子供の頃からのモットーが「人の気持ちを変えることはできない」でした。
人に何かされて、何かを言われて、行動を変えたとしても気持ちは変わらない。
気持ちをごまかすことはできないんです。
だから私は若いころ、クォーターライフクライシスになりました。
彼も同じ。
私が何を言っても、何をしても、本人が望まない限り、気持ちは変わらない。
だから、彼はミッドライフクライシスになったんだと思いました。
近々また、彼と会うでしょう。
会うと私の気持ちは落ち着きます。
もう夫ではない。家族でもない。そして私にとっては友人でもないのに。
元夫は元夫です。
地球上に一人しかいない人です。
縁のあった人です。
縁のある人なんてそうそういないと思っています。
今後もその縁が続くのかは分かりません。
彼次第です。そして私次第です。
でも、それももう、だんだんとどちらでもよくなってきている気がします。
そういう風に考えられるような作業、過程を経ている気がします。
記憶の中のいろいろな思い出、感情を棚卸し、一つ一つ処分しています。
喪の作業、別れの作業です。
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