夫がミッドライフクライシスになり、離婚しました。
今日は、ヴィクトール・フランクルに関する番組を見て思ったことについてです。
夫のミッドライフクライシス勃発直後、数回死ぬことを考えました。
家族を失い、生きる意味がなくなってしまったと思ったのです。
(私には子供がいないので「離婚=家族の消失」でした。)
番組では離婚とは比べ物にならない過酷な状況下での生きる意味について論じられていました。
そしてその中で、フランクルは何と4歳のとき既に、生きる意味について考えていたというのです。
思いました。
私4歳の時、何考えてたっけ?って。
覚えているのは、寂しくて寂しくて、死んで神様のところに行きたいと思っていたことです。
(カトリックの幼稚園でした。訳も分からず、天にまします我らの父よ、といつも祈ってました。)
家庭の事情で、家族はいましたが、寂しい環境でした。
そして12、13歳の時です。漠然と何かを書きたいと思ったのは。
ある小説に救われたんです。
その小説のおかげで、寂しいのは私だけじゃない、と思えるようになりました。
このブログを始めたのは、小説は書けないけど、その代わりだと思っています。
私と同じ境遇で苦しんでいる人の助けになりたいと思ったのです。
子供の頃、その本に孤独を救われたように。
文章は人を救うと思っています。
救えると信じています。
そして、これが私の生きる意味だと思いました。
12、13歳で感じた、私の真実の思いです。
これからこのブログがどういう風に変わっていくかは分かりません。
でも既に、最初の頃に書いたものとは内容も、書きぶりもずいぶん変わってきています。
全ては変わる。人も変わります。
でも、生きる意味の実現に向けて、真摯に努力している限り、私は今後、多少傷つくことはあっても、もうあれほど絶望することはないだろうと思っています。
自殺したいと思うようなことはないと思います。
少しずつですが、一人でいることが怖くなくなってきています。
私には生きる意味がある。
フランクルのように何かに誰かに拘束されているわけでもない。
私には仕事がある。
お金を稼ぐために会社員として働いている。
でもそれだけではなく、これからは「書く」ことを通じて誰かの役に立ちたい、という生きる意味を自覚しました。
だから私は、自分の人生をあきらめません。
もう死ぬことは考えません。
みんな、いつか死ぬんです。
だから、それまでの間、私は自分の人生を思いっきり生きます。
生きる意味を実現したいと思います。
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