夫がミッドライフクライシスになり出ていきました。
今日は「会うべきか、会わないべきか」についてです。
離婚後、3度会いました。
用事があったからです。
初回は緊張しました。
どういう顔をしていいか分からなかったからです。
Wasband(意味の分からない方はこちらの記事をどうぞ)が元気そうにしていると、それはそれで落ち込みます。
でも用事があったから会いました。
ちなみに会うというのは、用事を済ませた後、夕食を共にするということです。
問題はこれからです。
先ず、私からは一切連絡しない。これはもう決めています。
でも連絡があったらどうするか?会う?会わない?ということです。
周囲は全員反対しています。
会うことをそもそも言えない人もいます。(反対することが目に見えているから。)
「自由になりたいと無理やり離婚しておきながら、何もなかったかのように会いたいと連絡してくるのは都合よすぎでしょ」というわけです。
もっともです。
ただ、元夫を見ていると「こちらから切るのは人としてどうかな」という気もするのです。
元夫は非常に温厚な人でした。周囲に気を使いすぎる人でした。
幼少期のトラブルも抱えていました。
私は、てっきりそういった問題は既に解決済みと思っていたのですが、そうではなかったようです。
彼は「過剰適応」です。自分がない。
そのことに、今になって気がついたわけです。
それともう一つ問題があったようです。
承認欲求です。
離婚後、本人がそう言ってました。
職場で認められなくなったのがつらかった、今もつらいと言っていました。
私も彼がそこまで悩んでいたことに気付いてあげられませんでした。
いずれにせよ、ミッドライフクライシスになってからの彼のあまりの変貌ぶり(傍若無人ぶり)に、私の親族間では、彼は「病気」ということになっています。
学術的に、ミッドライフクライシスは病気ではありません。
でも日本人的な感覚だと「病気」なんでしょうね。
それぐらい、ミッドライフクライシスになる前と後では人格が変わります。
よく、うつ病、更年期障害と一緒にされてしまっています。
確かに似ている部分もあります。
が、別物です。(見分け方は多くのサイトに掲載されています。)
ミッドライフクライシスは、個人の成長の過程なんです。
でも、個人の成長より周囲との和を重んじる日本では、個人の成長のために和を乱すような行為をする人を排除しようとします。
だから、ほとんどの人は、個人の成長を我慢するんでしょう。
日本で自殺者が多いのはそれも理由かもしれません。
個人の成長のために妻子を捨てる男性は非難される。
ましてや個人の成長のために、夫と子供を捨てる女性はまるで悪魔であるかのように非難されるでしょう。
念のためですが、あくまで「個人の成長」のためです。
単なる「わがまま」は、ミッドライフクライシスではありません。
(これまで何度も浮気して、今回また浮気して出ていったのなら、それはミッドライフクライシスではなく、単なる浮気性です。)
「個人の成長」か「単なるわがまま」かの判断はなかなか難しいと思います。
おそらく私は、元夫が「わがまま」で出ていったのか、「個人の成長」を実現しようとして出ていったのかを知りたいんだと思います。
まあ、知っても何も変わらないのですが。
もし単なるわがままだったら、会っていくうちに私の気持ちも冷めていくでしょう。
楽に見切りを付けられると思います。
彼を嫌いになれる。
でも本当に「個人の成長」を実現しようとしているのなら、早晩連絡は来なくなるでしょう。
私と会う時間なんてなくなるはずです。
前回会って別れるとき、これが最後になるのかもと思いながら、さよならしました。
彼の「個人の成長」の成功を祈りました。
とてもつらかったです。
でも人として、彼の幸せを願いました。
彼の幸せを願える自分でいたいと思いました。
今も時々、ミッドライフクライシス前に戻りたいなと思います。
でもそれはありえません。
ミッドライフになると人格が変わるので、以前の結婚生活には戻れないからです。
分かっているのは、今、彼が私と会う理由は、私を好きだからではないということです。
愚痴を聞いてほしい、寂しさを埋めたいということだけだと思います。
分かっています。でも、自分から切るのもなんか違うような気がする。
切るのもエネルギーが必要だからです。
自分のエネルギーを、ミッドライフクライシスの彼(を切るために)ではなく、自分に使うべきだと思っています。
彼が連絡してくれば、会って話を聞く。
でも、連絡がないならそれはそれで受け入れる、という態度で臨むのが、私のダメージが一番少なくて済むのかなと思います。
あるがままですね。
彼が何をしようと、何を言おうと、平気なぐらいにまで、私も成長したいなと思います。
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