最近、ミッドライフクライシスではなく「離婚後の喪の作業・悲哀の作業」について情報を集め始めました。
少しは前に進んでいるということなのでしょうか。
自分では分かりません。
前回に続き「喪失学(坂口幸弘著」の中で印象に残った箇所がありましたので紹介します。
以下、抜粋です。
「『立ち直る』ということはあたかも風邪が治り、本来の健康状態を取り戻すかのような印象があるが、何事もなかったかのごとく喪失体験を消し去ることはできない。
私たちができるのは、喪失から回復し、以前の状態に戻ることではなく、大切な何かを失った状況の中で生きることである。
すなわち、喪失から『立ち直る』、あるいは喪失からの『回復』ではなく、喪失への『適応』が求められる」(下線はモリムラレイコ)
これまで何気なく、「立ち直る」、「回復」といった言葉を使っていたのですが、そうではなく、喪失に「適応」することが必要だったんですね。
納得しました。
そして以下のように続きます。
「喪失に適応するためには、失った事実を受け止め、自分の気持ちや直面している困難と折り合いをつけていくことが必要である。
拭いきれぬ思いをいかに消し去るかが大事なのではなく、その思いを抱えつつも、自分なりにどのように生きるのかが重要である」(下線はモリムラレイコ)
人は大切なものを失ったとき「喪失の意味を求める」そうです。
確かに私も、元夫のミッドライフクライシス勃発直後、喪失の意味(それまでの結婚生活を失ってしまったことの意味)を求め、ミッドライフクライシスに関する情報を集めました。
そして、その集めた情報を記録するためにこのブログを始めました。
ミッドライフクライシスに関する情報をなるべくたくさんの人と共有することによって、(結婚生活の)喪失を意味あるものにできると思ったからです。
そして、そうすることにより「死んでしまいたい」という思いから逃れることができました。
しかし、喪失の意味を一つ見つけたからといって、喪失に適応し、納得できていたわけではありませんでした。
ある人は私にこう言いました。
「あなた(私のことです)が悪いことをしたからこうなったわけではない」
別の人はこう言ってくれました。
「事故か何かに遭ったと思って早く忘れたほうがいい」
どちらもその通りなのですが、やはり、納得できるものではありませんでした。
結局、私の(結婚生活の)喪失を意味づけてくれる、納得できる答えなんて永遠に見つからない。
喪失は、ただ受け入れるしかない。
その上で、喪失の意味(喪失を意味づけてくれる答え)、私の生きる意味を求め続けていくしかないのだと思いました。
そして、求め続けたとしても、納得のできる答え、意味が見つかるとは限らない。
むしろ、喪失の意味、生きる意味を求め、見つかったら、その見つかった意味を自分の中に取り込んでいく中で、自分自身が変化し、また次の「意味」の探求に向かうのだと思いました。
だからあせらず進むことにしました。
一つずつ、ゆっくりと、意味を求め、意味を作っていこうと思っています。
もちろん、求めて見つかった意味、作った意味が、全て正解ではないでしょう。
でも結果のことはあまり考えず、今は、その意味を求める、作る過程に目を向け、楽しみたいと思っています。
元夫がミッドライフクライシスになった直後、外に出ざるを得なくなり(理由はこちらの記事をご覧ください。)、新しい活動を2つ始めました。
ラッキーなことに、今でも両方続いています。
仕事と2つの活動、そしてこのブログを軸に、私の喪失の意味と生きる意味を、もっともっと広げ、深めていきたいと思っています。
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