夫がミッドライフクライシスになり出ていきました。
今日は「変化する自分 悲しみとともに」についてです。
ミッドライフクライシス勃発直後のパニック状態、それに続く心が引きちぎられるような苦しみも落ち着き、今は泣くことも減りました。
ぱっと見、以前に戻った、もう立ち直ったように見えるかもしれません。
でも私の中で何かが大きく変わりました。
いつも悲しみがある。
真ん中ではないけど、心の底の方に、大きな悲しみの傷があるのです。
最初の頃、傷はまだ膿んでいて、ほんの少しの刺激で出血してました。(泣いたり不安になったりしてました。)
徐々に出血は減りましたが(泣くことは減りましたが)、今度は傷の輪郭が見えてきました。
寂しさとも違う。
絶望とも違う。
人は一人であるという厳然たる事実を直視しなければならない悲しさなのでしょうか。
突き付けられたその当たり前の真実の冷たさなのでしょうか。
結婚生活を送っていた間はその冷たさを忘れることができていました。
日々の生活の中で、感情を共有できる相手がいたことで見なくてすんでいたのだと思います。
「おいしいね」とか「暑いね」とか、そんな他愛もないことを言える相手っているようで実はなかなかいませんよね。
元夫は、本人も気付かなかったぐらい、自身の感情に鈍感でしたが(だからミッドライフクライシスになったようにも思います。)、一緒に散歩したり旅行したりして、少なくとも私は満たされていました。
でも、突然のミッドライフクライシス(ミッドライフクライシスは突然だそうです)、そして、元夫から放たれた数々の非難(君と結婚したことが間違いだった等)により、私の人生観は大きく揺らぎました。
人間不信にもなりました。
そのショックからはかなり立ち直ったのですが、人が、しかも自分の愛した人があんなふうに冷酷になる、残酷になる様を見てしまったことは、私の中に大きな傷を残しました。
ミッドライフクライシスに関する欧米のサイトの多くには、配偶者のミッドライフクライシスは(されたこと言われたことも含めて)Let it go しよう(流そう、忘れよう)と書いてあります。
Let it go できなくても Let it be でいよう(あるがままでいよう)と書かれたサイトもありました。
私は断然後者(Let it be)です。
ただ一言付け加えると「『悲しみとともに』あるがままに」ということだと思います。
欧米では「悲しんでいる=弱い」と取られることが多く、すぐポジティブになろうなどと言われます。
もちろん、泣いてばかりじゃダメでしょう。
泣かないでいられるように積極的に行動することは大切です。
でも無理に明るくする必要もないわけです。
悲しいときは悲しみをそのままそばに置いておけばいいのではないでしょうか。
最近、私は少し静かになった気がします。
それを暗くなったと見るか、落ち着いたと見るか。
私は、落ち着いた、成熟したんだと思っています。
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