夫がミッドライフクライシスになり出ていきました。
今日は「断捨離してミニマルに生きる」についてです。
今回のことが原因で引っ越しを余儀なくされました。
今、準備真っ最中です。
もともとものを持たない主義でした。
整理下手なんです。だから持たない。シンプルです。
元夫は捨てない人でした。真逆。。。
でも妻は捨てました。(自虐ネタです。)
話を戻しましょう。というわけで、私の物は少ないはず、と思ってました。
本も電子本が多く、他の物も電子化、オンライン化しています。
でも思ったより多い。
物って知らない間に溜まるんですね。
そこで、図書館でも借りられる本、写真&アルバム、紙ごみ、着なくなった洋服、使わない化粧品などを捨てることにしました。
ゴミの量が半端ないです!
ただ、生活に潤いもほしい。
ここからが難問です。自分にとっての潤いとは何か。
結局、自分の価値観を求められるんです。
何を大事にして生きていくか。
捨てていい物を決めるんじゃなくて、持っていく物を決める価値観です。
なかなか難しいです。
でもこの考え方、物だけじゃない。
生き方にも通じると思います。もっと言うと人にも。
世の中に捨てていいものなんてない。でも全てを均等に取り扱うことなんてできません。
だから優先順位をつけるわけです。価値観です。
ただ、その価値観は自分の価値観でないといけないわけです。
しかも価値観て決めるものではなく、感じるもののような気がします。
話が逸れますが、元夫は自分の感情と向き合ったことがなかったような気がします。
過剰適応の人って、あるべき価値観で生きている。
自分の価値観か、人真似している価値観かの区別がついていない。
私と結婚したのも、周囲がいいと言うだろうから決めたと言われました。
後日取り消しましたが、いくばくかの真実も含まれている気がします。
話を戻しましょう。
私が大事にしているものの一つは料理です。
食が人を作ると思っています。
だから先日、粉ふるいを買いました。
物が増えてしまいました。
それと音楽。最近、ラジオを買おうか迷ってます。
買ったらまた物が増えますね。
私の価値観の一端を表していると思います。
で、また話が逸れますが、ふと思ったのが「コモン」という考えです。
ご存じない方のために申し上げると「コモン」とは「商品化されるべきではない公共財」のこと。
斎藤幸平先生がマルクスの考えをもとに提唱しておられます。
そうなんですよね。公共財、例えば、医療や介護、教育、食、水道は言うまでもありませんが、本なんかもみんなが読めるようにしてくれれば、所有する必要はなくなります。
(出版社は困るかもしれないけど。。。)
老後のためのお金もそれほど貯める必要もなくなります。
自分の人生、時間をもっと楽しく過ごせる。
最小限のものだけ所有して、後は共有することによって資源の無駄も減らせます。
大分脇道に逸れてしまいましたが、今そんなことを考えています。
いや、今、悲しみの中にいるので、なるべくそういうことを考えるようにしています。
そして自分の価値観がどう定まっていくのかをじっと見ています。
不安もあるけど、興味津々という気持ちもあるかな。。。
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